Lumitar 5cm f1.5
 

Lens Data

Lens Unit

Lens Photo

製造メーカー:日本光学機械研究所
設計者:不明
製造番号:不明
製造年:1942年頃
レンズ構成:5群7枚 前群ガウス+特殊型(推定)
重量:223g
最小絞り値:なし
絞り枚数:なし
最短距離:不明
マウント:L39マウント(バックフォーカスがライカより長いため中間リングでライカ非連動マウントに)

Lens Impression

まさに謎のレンズと言ってよい正体不明の1本です。1942年に日本光学機械研究所(日本光研)で製造が始まったレントゲン間接撮影用カメラに装着されていたことはわかっていますが、それ以上の情報がまだ見つかっていません。
レンズの外観は当時レントゲン間接撮影用レンズとして最高とされていた、ツァイスのゾナーf1.5とほとんど同じと言ってよいくらい似ていますが、メッキの材質やネジの切り方などが異なり、日本製のレンズのように思われます。
レンズ構成も全くわかりませんが、レンズを可能な限り分解してみた結果、前群がゾナーのもの、後群がガウス(しかも最後部は2枚の凸レンズに分離)らしいという推論に至りました。
レントゲンレンズらしく絞りもヘリコイドもありません。本来の使用場所が暗闇でわずかなX線の蛍光を拾うわけですから、レンズ内部の処理も一般レンズに比べて十分ではないため、開放ではかなりフレアもある暴れ玉です。

太平洋戦争中の1942年3月、日本レントゲン協会会誌「蛍光」に日本光学機械研究所志村和男名で「日本光研ST II型X線間接撮影用カメラに就て」という記事が掲載された。これは同社の設立後初めて製作した第一号X線間接撮影専用カメラST II型の機能や諸元、使用方法、さらには日中現像タンクや巻取器まで事細かに記載された記事である。

当時は戦争の深刻化に伴い、アジア南方などへの兵員の大量海外輸送が急務となっていた。その中で不衛生な輸送船環境における「不治の病・結核」の予防は極めて重大な課題であり、徴兵前に感染者を発見する必要性に迫られていた。X線直接撮影の効率性を大幅に向上させた間接撮影法には1936年の開発以降、主にドイツ製のコンタックス、ライカ、そしてロボットカメラなどが使われたいたが、それでは量的に全く不足する状態となり、軍部は光学各社に高精細で耐久性があり、速写が可能なX線間接撮影用カメラ・レンズの製作を国内カメラメーカー各社に命じた。

そうしたカメラの中では、キヤノンの専用カメラとR-セレナーレンズ、小西六のルビコンカメラとルミノンレンズ、そしてレントゲン・ズノーレンズなども比較的知られているが、日本光研もそうした企業の一つで、この間接撮影カメラには上代光学研究所(K.O.L.=Kajiro Optical Laboratory)製の「レントゲンXebec 5cm f1.5」と、このルミターLumitar 5cm f1.5のいずれかが装着されていた。残念ながら、上記の志村和男の記事の中には 使用レンズについての記載はなく、ルミターがST II型から実使用に供されていたのかどうかはわからない。しかし、その後の複数の間接撮影関連の書籍には「日本光研製ルミター」f1.5レンズが24mm×30mmの画像サイズで一般的間接撮影に使用されていたと記述されている。

昭和29年(1954年)の「間接撮影の技術と読影 (志賀達雄 著 克誠堂出版)」の間接撮影装置の項に記載されている使用レンズ一覧には、5段目に「ルミター」が記載されている。これによると、ルミターの完成は昭和18年(1943年)ということで、キヤノンのRセレナー、小西六のルミノンに比べて2年程度遅い時期であり、日本光研ST II型X線間接撮影用カメラの開発直後ということとなるが、この記事も戦後11年経過した時点でのものであるので、データが詳細まで正確かどうかは不明である。

併せて私見であるが、このレンズの鏡胴に大きく刻印された「fur Rontgenschirmbild」の文字は使用目的を明確にしてくれているが、その印象はどうもレンズメーカーっぽくなく、カメラ製造側の刻印のように思えてならない。
このレンズ自体についての過去の記事やデータなどは現在までのところ見つかっていない。戦前から戦後のレントゲン関係の雑誌なども数多く参照したが、レンズ構成など具体的記述は発見できなかった。


 Photos with Lumitar 5cm f1.5
 
2018
Ebisu
(恵比寿)
 
東京都写真美術館の図書室で資料の検索を行った後、代官山方面に散歩しつつ、この珍しいレンズの試写を行いました。暗闇専用として生まれ出た個体にとっては、とても眩しい時間だったでしょう。まるで目をしばしばさせているように、撮影した画像も周辺の描写がまるでさまよっているようです。

After I serched and checked some reports in the library of the Tokyo Metropolitan Museum of Photography, I made a trial of this lens while walking in the direction of Daikanyama. It should have been a very dazzling time for this lens which was born dedicated to darkness. It seems that the depiction of the surroundings is almost wandering in the images taken, as if the lens felt dizzy under the sunshine.
 
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